日本研究ライブラリー

日仏をつなぐ日本研究の現場

マティアス・ハイエク(Matthias Hayek)氏 フランス高等研究実習院教授

1980年生まれ。パリ第四ソルボンヌ大学で社会学・知識哲学を専攻し、フランス国立東洋言語文化研究大学(INALCO)で日本研究を専攻。総研大(国際日本研究専攻)での留学を経て、2008年にINALCOより博士号を取得したのち、2009年にパリ・シテ大学東アジア文明言語学部日本学科に准教授として就職し、2020年教授となる。2021年より現職。

ハイエク氏は、2025年7月から9月まで「近世日本における運命観・天候観と運気論」の研究のため、日文研に滞在されました。ご専門は文化史・知識社会学で、主に江戸時代の占術文化と百科思想の展開とその媒体と(書物・言説)を研究されています。

日本に関心を持たれたきっかけを教えてください。

私は、1980年生まれで、フランスで日本のアニメを見て育った最初の世代です。幼い頃は、それが日本の作品であることを知らなかったのですが、1990年代後半になると、アニメの原作漫画がフランス語で出版されるようになり、「あの作品は日本のものだったのか!」と初めて知って、とても驚きました。そのときから、日本に対する興味が芽生えたように思います。もう一つ自分の原点にあるのは、テレビで見た映画『マハーバーラタ』(1989)です。この映画に大きな衝撃を受けて、そこからインドや東アジアの宗教文化への関心が生まれたんです。

大学では何を勉強されましたか。

大学では、哲学を専攻しましたが、西洋思想中心のカリキュラムに少し物足りなさを感じていました。幸いにも、語学の枠では、サンスクリット語や中国語の授業があったので、受講しましたが、日本語は人数制限があって受講できず、パリの東洋言語文化研究所の通信教育で学ぶことにしました。カセットテープと教科書をもらって、定期的に課題を送って添削してもらうような制度で、2年間続けました。その後、本格的に日本語を学びたいと思い、パリの大学に入りました。

日本に留学されたきっかけは何でしたか。

大学時代に短期の語学研修で来日したのがきっかけです。その後、日本の大学院に留学したいと思っていた時に、パリのフランス高等研究実習院で行われた小松和彦先生の集中講義に参加して、そのご縁で日文研を紹介していただきました。そして、文部科学省の国費留学生制度に応募して2004年に日文研(総研大)に留学することになりました。

日文研での留学生活はいかがでしたか?

最初は日本語の論文執筆がとても大変でした。博士課程の入試を受けるために、フランス語で書いた修士論文の要旨を日本語にして提出する必要がありましたが、フランス語で考えた理論をそのまま日本語に翻訳したところで通じるとは限らないということをその時点で痛感しました。最終的には、パリの大学に博士論文を提出することになりましたが、この経験を経て、日本語で論文を書くときは、翻訳をするのではなく、最初から日本語で書くように心がけるようになりました。

執筆言語の話題が出ましたが、フランス語、英語、日本語で書くときの違いについて、どのようにお考えですか?

基本的には、翻訳不可能なものはないと思っています。ただし、論文に何を期待されるか、考えをどう表現するかは言語によって異なります。例えば、英語では一つの段落に一つのアイディアを示すことが求められますが、フランス語の場合は、複数のアイディアを一つの段落にまとめることもあります。また、論の組み立てや結論の書き方も違います。フランス語では、序文で述べたことと同じ内容を結論で示さないと、正しい結論とは言えません。一方で、日本語では、各章のまとめに結論的な内容を書き、論文全体の最後には「むすびにかえて」や「おわりに」といった形で締めくくります。ですから、言語によって書き方や論理の構造が違うことを理解しておくこと必要がありますね。

現在、フランス日本研究学会の会長も務められていますが、どのような活動をされているのでしょうか。

学会には約400名の会員がいます。大学教員や博士課程の学生が中心で、文学、歴史、宗教から社会科学、文化研究まで幅広い分野をカバーしています。
全国の研究会や日本研究関係のイベントの案内や展示、新刊情報を共有するメーリングを運営し、毎年の博士論文、修士論文、そして日本研究関係書などの情報をまとめます。
また、年に3回ほど、地方の大学でフランスの日本研究者の新刊についての講演会・書評会を開き、なるべく多くの学生に日本研究の現状について発信しようとしています。

研究分野の傾向に変化は感じますか。

日本研究が研究領域として確立したのは、戦後かと思いますが、最初は古代の歴史、宗教や文学が中心でした。2000年代以降は、近代にも関心が向けられるようになり、現代を対象とする社会学の研究も増えています。
最近は、近世(江戸時代)の研究者が比較的多いですが、中世の研究者は少なくなっていて、世代交代が進まないことが課題です。学生にとっても、同じ時代を研究する仲間がほとんどおらず、孤立しやすい状況があります。こうした領域の継承をどう支えていくかが、今の大きな課題です。

ハイエク氏の研究資料  井上教親『易學晴雨考』(国立国会図書館所蔵)

フランス日本研究学会では、学生や若手研究者が発表する機会はありますか。

はい、学会では、各年で大きなシンポジウムと全国の大学院生の発表会を企画しています。博士課程の学生や若手研究者が自身の研究を紹介し、議論を通して他分野の研究者と交流できる貴重な場になっています。
また、3年に一度くらい、中国研究学会、韓国研究学会、南アジア研究学会などと日程を合わせて、学際的シンポジウムを共同で開催しています。一つの国にとどまらず、アジアを視野に入れたテーマを設定し、比較して議論できるようにします。日本研究をより広い地域的・学問的文脈で考えることで、新しい視点が生まれるのではないかと思っています。

博士課程の学生にメッセージをお願いします。

博士課程の学生には、まず研究対象への好奇心を最大限に持つことを大切にしてほしいです。そして同時に、自分の将来を早くから想像し、どのようなキャリアを歩みたいのかを考えることも重要だと思います。

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